私の幸福論

昨夜は2時すぎまでまた眠れなかったのですが、いい加減にしようと思って、朝20分目を閉じるだけにして、10時には家を出ました。

昼ごはんに帰ってきて、ご飯のあとまた20分目を閉じていたら、電話で中断されたので、そのまま午後も出かけました。

そして17時ぐらいに出先から出、途中道草を食いながら帰宅。

午前中にまた眠るときより、満足感があり疲労度も満足感からか、そこまで感じることはありません。

それと、家人の目があったのですんなりと外出できたのかもしれませんね。目的が遂行できて、負担にならない形ならば他人の力を借りるというのも良いです。

 

歩いて目的地にいく道すがら、考え事、というか不安が鎌首もたげてきました。

よくよく、不安を吟味してみると、今この場でどうしようもない将来の不安です。うまくいくのだろうか。とか。

天気は良くて青空が見え、校庭には生徒の声が響いていました。

不安と同時に、安心がそこにあることに気が付きました。そしてどちらを「より」受信するかを選ぶことができるんじゃないか、と思いました。

きっと人に対して不安のほうが親和性が高く、より認知されやすい感情でしょう。それが真実かどうかは別にして。

不安は、心をほんのちょこっと掘り返せばざっくざっくと出てくるのに対して、しかし幸せな気持ちは、金の鉱脈みたいになかなか掘り当てるのがむつかしいのでしょうか。

この世の不安と幸せをかき集めたら、どちらが多いのでしょうかね。

 

ところで私は人より感受性が強いね、と良く言われます。それは諸刃、というより気を使いすぎるあまりぎったぎたと自らを傷つけてやまない刃です。

その分、その感受性は今日咲いている花とか、夜一人嗜むタバコとか、そういう「ささやか」なことの幸せも感じてくれます。

 

きっと強く居られる時間や強くいられる事より、弱くなる、不安になる要因の方が多いと思います。この世を見渡して、生活してみると。

時間で見ても1日ですら一時間ですら、きっとそうですから、365日見渡すと、雨降ってる日もあれば嵐、でも綺麗に晴れる日もあるでしょう。

 

まとめましょうかね。

不安は消せないと思います。考えないことはできません。不安要素、というのは人それぞれですが、しかし飼いならすことはできます。ああ、暴れそうだなあ、程度からでしょうけれど。

一方で、幸せの種子も花も果実もいたるところにあります。あると思います。私は。

不安を選択するのか、目の前と未来にある幸せを選択するのか、その人次第です。

 

弱さを理解して否定せずに、それでも今手に入れられる幸せを考えていく人間になりましょうかね。

24時間すべて強くはいられません。弱さを、不安を否定せずに包括したうえで今自分に心地いいことを、心身の強化に努めていきましょう。

6割の人間は、それくらいでちょうどいいのです。