私と一月
一月も今日で終わりです。今日は休日らしい過ごし方でした。昨日の不快感が少し残っていたのですが、そんなことより目の前の良い休日をほおっておくのは阿呆だなあと思います。いちいち振り返ってられませんよね。
折角晴れたのですし、今日穏やかに過ごせたことに感謝です。
さて。一月を振り返ろうと思います。環境、一日の過ごし方、人、の3つについて。
人生はノーミスなんてありえないし、
他人と比べるのではなく、過去の自分と比べてどれくらい成長しているかをみろよ。
と思います。
- 身の回りの環境について
ここの周辺環境にも大分、身体がなじんできました。徒歩圏内に色々な公共施設やお店があるので、気晴らしの散歩がぜんぜん飽きることがありません。
人通りも程よくあり、多様なので「自分以外の人間が生活している安心感」というものを感じられます。不快感なく。
多様な人が住んでいると、街全体が自然と「朝、昼、夜」に移り変わっていきます。
朝は学校に通う子どもの声や、通勤のために車通りが多くなります。
昼はベビーカーを押して散歩するお母さんを見かけます。
夕方と夜は帰る人たち、買い物帰りの人たちを見かけます。
そうした人によって一日の時間の移ろいを感じることができて、そして自分以外の生活を感じることが出来て、不思議な寂寥感と安心感を覚えます。
私たった一人、と誰かが居る中での一人、では全然違ってきます。誰かと何かの生活音も、刺激として必要なものだと思っています。
公共施設の一つ、図書館は非常に良いところで、新聞を読みに行くのを日課にしています。蔵書も充実しており、世間との繋がりが疎い今の自分には非常にありがたいです。こういうところに住む場所の大切さや公共施設のありがたさを実感しています。
街と街が近いのも素敵です。そして街の個性がある。自転車で都市部まで行くことがあるのですが、これも飽きない。街から街へゆく道は広くて、それぞれに特徴があって、とても良い時間です。運動にもなる。
外に出歩くのが苦にならない、見るものに刺激をもらえる、というのはとても大切なことですね。料理の買い物に行く、自然を見にいく、頭を冷やすなど。
どれほど助けられたでしょうか。
- 一日の過ごし方について
これは大分苦労していました。一月の半ばごろの区切りがつくまで、頭の中がすごくもやもやとしていて、夜は2時ごろまで眠れないし、朝はだるいし、朝寝はするし、で大丈夫かなと思っていました。
それでも規則正しい生活を心がけるために、朝は必ず定刻に起きることを、遅く寝ても早く寝ても、を遂行していました。毎日毎日。
そして必ず味噌汁を作っていました。
温かいものを食べること、なるべく手作りすること、そして朝ですから簡単なものとなると自然と味噌汁に行きつきました。それ以上に、朝から好物のネギたっぷりの味噌汁を飲むだけで幸福度が上がりますからね。
朝は定刻起床と味噌汁でスタートを切っていましたが、その後はだるさなどで寝ている事がままありました。調子が良いほうの日は図書館に行って新聞を読み、学習をしていたのですが、中々身が入りませんでした。
それも区切りをつけた後から徐々に回復傾向にあり、学習に対してももりもり意欲が湧いてきています。心の回復をお互いに助けている形です。
この一週間は夜によく眠れている実感があります。昼寝もしますが、寝すぎることはなくなりました。
昼ご飯、夜ご飯も作れるときは作っています。料理はとても良い気晴らしですし、美味しいと家人が言ってくれるのが、自尊心の回復にも役に立っています。
掃除洗濯も率先してやるように心がけています。来るべき日のためのトレーニングでもあるし、面倒くさいけれど、綺麗になった床と、干された洗濯物とシンクに食器がたまってない状態はとても気持ちいですし。生活の丁寧さはこの辺から生まれてくるのでしょうかね。
風呂に入った後は筋トレとストレッチも欠かさずやっています。明らかに過去よりも筋力が付いてきて、成長を実感できる良い指標になっています。気分も爽快になります。筋トレしているときは「●す」と思いながらやっているので多少ストレス解消にもなります。
寝る前にはブログの更新をして、今日一日の自分の生活の振り返りをしています。
こうすることで一日一日の変化が追えます。毎日自分はどこかで更新しているなと改めて感じられます。
最近は未来のことを考えられています。そしてワクワクしています。
365日が晴れではないし、どうしても不安でもやもやする日もあります。でも気分爽快な日もあることを知っています。その振れ幅が自分にはあって、それは仕方ないことです。
それでも、良くない日も快調な日も同じリズムを刻んでいけば、それが走っているのか、停滞しているのか、丁度よいのか、敏感になって軌道修正も難しくはなくなると思っています。
波はあります。なによりも一番は無理をしないこと。6割主義者なので完璧は目指せないです。ぼちぼちですね。
- 人について
正月に少々旧交を温めました。中旬にかの地で再会をしました。
今はそれくらいがちょうど良いです。孤独に潰されるのではないか、と思っていましたが、案外慣れるものですね。
けれど、思い出すこと、ふと思い出すことはあります。ぶっつり切れたような感じがするときもあります。
でも、どーにもできないんですよね。今の私にできることは。また会った時に「元気だよ、そっちはどう?」って笑えることなんです。
むしろ、自分から会って言いたい、のが正直なところです。かの地の人々には感謝しかありません。だからこそ笑っていたい。それだけです。
- おわりに
平穏といえば平穏で、単調と言えば単調な日々です。今は無菌室にいるような、入院しているようなものです。
しかし私の一つの目安は3か月かなあと思っています。
最初の方はいつになったらラクになるのか、と思っていましたが大分変わってきました。この変わってきている実感があります。数か月前の自分と比べて。
最近話題の或る作家さんが、
「若いころの自分に対しては言ってやることはない。経験が乏しいから色々な失敗をした。若いからしょうがない。それの蓄積の今の自分だが、今の私は今の私で経験は積んだが若いころと同じく生きるうえでの悩みはある。若い頃の自分と今の自分はそういう意味で同士だ」(要約)
と書かれていました。
見えなかったものが見えるようになると、今度はそれについてまた考えることが発生すると思います。
今日の自分すら考えられなかった自分が居ました。ようやく今日の自分についてリズムを刻み始めました。すると明日以降を考えられるようになりました。そうやってまた新たなことを同じように考えていくのでしょうね。
けれど、後者の方が、ゆとりがある分、美しいものへ感情を振り分けられます。
生涯を通して、美しいものについて考える時間がある生活を送って、それを積み重ねていきたいですね。
今日気が付かなかった美しいものに、きっと明日は気が付けるでしょう。