私とこころ

午前中は自分史の下書きを。

午後はテキストと、社会参画のリハビリテーションへ、申し込みしてきました。

選考結果は一週間ほどででるそうです。

そして図書館で日課の新聞読み。

まだまだ新聞を読んだだけでは何もわかりません。それでも続けていくしかありませんし、知識を入れることに喜びを感じるので。

その後は夕飯にポトフを作り、友人の相談に乗っていました。

久しぶりに楽しい話題で時間を忘れて話し込みました。

 

インプットがある一定あると、私は饒舌になります。(最近は独り言が多い。)

しかし、インプットがある状態とは、インプットする余裕がある状態で、要は自分の身の回りに関心が持てる余裕があるときです。それを取り込む余白もある。

一方インプットがないとき、むしろ「できない」とき、人と話すこともあまりしなくなるので思考が内面に行きすぎになりがちで、不安にさいなまれる、起きれない、調子の良くない時期が来ている時になります。余白がない。

 

つまり、あたまの状態でこころの状態を測ることもできますね。

よくよく、こころの状態に注意して、運動したり、鍛えたりしています。こころが動かなくても、にくを動かしていれば、とは経験済みです。対偶もしかり。

あたまもそんな風に動かすことでこころを回復できるのではないか、という事を最近考えています。

インプットを継続的に続けることで、循環を作り出す。停滞ではなく。

そのとき、インプットの質はどうでも良いのです。量も。

料理を始めるときは、まずコンロを「置く」ことから始めるように、

朝、目が覚めたらまずはパジャマをたたんでベットに置くところから始めるように、

まずはインプットする。

勿論それは自分の性質のようですし、それをやれている時期の方がどうやらしていないときよりも充実感があるようだから、という経験からですが。こころの栄養、とはよく言ったものです。

 

基本的に、それはこころが感じる「快」と「不快」が判断基準です。役に立つ、立たないはあたまの出番です。

結局、はじめに「こころありき」、みたいですね。よかった。