私と利己

今日は一日中書き物をしている日でした。

最近、インプットの量があったので、空雑巾を絞るようなことにならずに済みました。

と、自分では思っていたのですが、家人が「あなたの捨てた過去が助けてくれているね」というような事を言いました。

捨てた過去、かあ。

引っ越しをする時、モノを兎に角捨てました。いつの間にか思い出という不燃物でナマモノで、でも時々可燃物にも資源にもなるものが付随しているので苦労しました。

しかし最近はそうした過去は、特に気に留めてません。むしろ有効に活用できていると思っています。

そしてようやくそういう段階に進めているのかしら、と自分の変化を眺めています。

過去にまつわるキーワードはなるべく避けて過ごしてきたのですが、最近は寧ろ避けることで、却って何時までも執着しているようだなあと思っています。

寧ろ、今現在に力点が置かれているということでもあると思います。

更に、現在の自分のことに気を遣っている日常の方が、他人を助けやすいことにも気が付きました。

自分のこともできない、他人を見やることもできない

自分のことはできないからせめて他人のことをすることでごまかそう

で、かえって他人に恩着せがましくなり、その自分に嫌悪する。

そんな風な悪循環があったと思います。

なので、より自分のことに注力するようにもなりました。だって他人を助けたいと思いますので。助けてもらった人を。

しかし、何処かで思っていることも事実です。この過去を持っていることで立ち行かなくなったら、それは不適合だからもう諦めようと。それが唯一自分の中で卑怯な事且つ、救済の印として鈍く光ります。

でも配られたカードで勝負をするくらいのきもちはあります。たとい結果がどうであれ。