私と読書

最近何冊か続けて本を読んでいます。

しかし、毒に当てられたような気分であまり爽快ではありません。

基本的に読む本は自分の行き当たりな感情で決めることが多く、それ故に買っても読まない本ばかり並べています。

更に、一人の作家に傾倒するということがありません。

それは、或る作家の著作を初めて読んだときの新鮮さを失いたくないという思いと、その作家自身に影響されたくないという考えからです。

最近、それに限界を感じることがあり、更に散逸な読書は得るものなしという思いも高まっています。

そして、読書の量はその人の人格とは全くの無関係だとも思っています。哀しいですが。

本を読め、とは殆どの人が言われたことがあると思いますが、何故本を読めと人は人にいうのでしょう。

更にそれを受けて「読む時間がない」と言い訳するのでしょう。

「別に読みたい本もないし、読みたくもない」の方が素直でよろしい。そのうえ、別に読まなくてもいいと思います。却って頭でっかちになって、得た知識をひけらかすようなことになりますし。

沢山読んでいるねえと言われることがままありますが、それは誰かのスマホゲームや、誰かのその他の趣味と同じくらいに些細なことだと思っています。

読書は割と高尚な趣味に数えられると思いますが、確かに読む本によってはそのように思われるのでしょうが、息が継げる場所がもはやそこしか残されていないのです。

話し相手は物言わぬ著者以外に残されていないのです。それは息苦しく、悲しい戦いに身を投じることだと思います。

私は今の状態を外部に引きずり出す為に適当な言葉を探して、ページを繰ります。

しかし、見つけた言葉は却って内側で乱反射して、収まる場所を新たに作らなければならないこともしばしばあります。

ある種の不幸体験だな、と私は読書に対してそう思っています。

打たれたプロットを読み解き、そのプロット間をつなぐ作業が、今を生きている私に課せられています。

しかし、そのプロット間をつなぐには経験が浅薄な私には限界で、やはり系統的な読書と目的をもった読書の必要性を感じているのです。

若干の吐き気を感じながらですが、少しづつ読んでいます。

ま、はっきり言えば、もっと読んで考えたことについて話を聴いてもらいたいだけなんですけれどね。ふふふ。

あと書斎がほしいです。そんな妄想ばかりしています。絶対手に入れてやる…。