私と雨音

昔のことを思い出すのは、雨の日のことでなくてはならない。

原初の、水たまりを覗き跳ねる喜びや雨音の、七色へと変化する愉しみ。

原初から目覚めた私たちは、記憶が次第に雨滴の中へ沈んでいくのを想う。

雨というその一点のみに結ばれた記憶たちは、雨音の催眠で次第に目覚めてくる。

窓に流れる雫をなぞった日、中止になった約束や、乾かぬ洗濯物の日。歓迎されていないと感じながらも出かけた日など。

いつの間にか大きな流れとなった雨滴の川底には、いくつもの記憶が沈んだままになっている。

晴れの日には、音がない。風の音は、風そのものの音で、晴れの音ではない。

雨がもつ特有の性質が、情緒を掻き立て、人を詩人にする。

雨滴の集合が排水溝へと吸い込まれるに従い、逆説的に、記憶が流動化し集合が一つ一つの要素になる。

昔のことを思い出すのは雨の日でなくてはならない。