私とさよなら社会

全人格労働は避けます。「やりがい搾取」という言葉にあるように、労働にやりがいを求めるのは、やりがいが「生きがい」を指すとき、労働に全人格を投入してしまい、労働の条件によって人格が攻撃され、打ちのめされ、再起不能になってしまう恐れがあるからです。

最近、とある場所で働いています。自分が一番若いので、色々と年の差を感じる話を聞けて面白がっています。

そして確信しつつあるのは、性善も性悪も存在しないし、「偶発的な実存」という考えの正しさ、です。

ジェネレーションギャップという言葉は主に、年齢に開きがある人間同士が、お互いにその文化的背景、主に大衆文化として消費されてきた音楽や、文学などの話が共有できないという文脈で使用されると思っています。

しかし、ジェネレーションギャップはそもそもギャップ、大きな、本来埋めるべき「穴」が開いている。

最近もまた床屋談義居酒屋談義に事欠かないことが沢山起こり、それについての意見を聞くのですが、それがただ一個人の意見なのか、その世代か、はたまたその世代が醸成した一個人の意見なのか考えることがあります。

もし人が学び続ける、老成という言葉が言葉通りに受け取られるならば、「経験」という、若さと時間を差し出さない限り手に入らない特殊なモノ(もの、としておきます)は無二で、生きた経験とは万巻の書物にも匹敵するはず。

そうではない。

老いのその日まで、日々学ぶことの大切さを痛感しています。それは実生活に基づいたものでなければならない、ということも。しかし、一個人の偏狭な意見に囚われてはいけない。

搾取、は必ずしも物質のみではない。考える時間、能力を奪われた結果、「学び続ける」、老成するという安直な進歩思想はすぐに崩れます。

あらゆるものを搾取される時代に生きている気がします。それは単に気、の範囲を出ない私のみの想像です。しかしそれが妄想であることを祈ります。

まとまりがない文章になりましたが、最近は働きながら学習を続けています。

どうしても肉体的にしばしば疲れもしますが、まだ若いうちに。