私と3月

色々と3月について書き留めておきます。

自分の中では一先ず3か月というのが目途でしたので、3月になると大分調子も上向くかと思っていました。

しかし中々思う通りにはいかず、遅くまで眠れない日々も続いておりました。

一方でそれまで培ってきた生活習慣は徐々に効果を表し始めた、と言っていいのかもしれません。自分のくせ、のようなものが日に日に捕まえられるようになりましたし、むしろ過度に客観視せずに、あえて主観的に考えることで主体的な行動をとれるようにもなりました。

つまりいずれにせよ私であるということです。そのことを改めて実証できたようです。

そして自分の欲求に対して、例えば「生まれ変われるとしたら、何をやろうかな」ってことを考えたときに、それは今からの自分でも十分できることでした。それならばやるしかない、と、それに対して素直に向き合う事、「一対一」で向き合う覚悟を決めました。

つまり欲求に素直になるということです。

考える時間と考える余白、あとはたかが知れているお金すらあれば、十分に「生きがい」としてやっていけそうな検討がつきつつあります。

その方針に決め、覚悟をしてから眠れるようになりました。同時にやらなければならないことも以前にましてやれる土台が固まってきました。

そして3月までに色々な事に対して「カタ」をつけてきました。それについてはその時の私が最善を尽くしたと言えます。

それによって、色々と暴かれ、もまれ、様々な思いが生まれては消えました。

ここに書いていることはともすればしっかりした様な意見に見えるかもしれませんし、或いは当たり前のことで、今更なにをなんて受け取られるかもしれませんね。

誰かの当たり前が私の当たり前ではない経験なんて、文字通り身を切るほどに積んできました。

期待すべきことがあるでしょうか。自分の変化や価値以外に。

日に日に確信に近づいていることはいくつかありますが、それは独断と偏見をはらんでいることも事実です。誰ともその着想について話をしていないのですから。

でもいつかあいつに会ったらこれを言おう、あの人にあったらこれについて聞いて見よう、と考えています。その為にも生きている私の部分があります。

いつかなんてわかりませんし、そんなに感傷的になるほどの自分はもういません。

3月はこのような月です。書ききれない内面生活のあれやこれもありますが、それは別に譲ります。

それは季節も変わりつつあり、暖かな日々が増えつつあることも影響しているのでしょう。となると、私は時期に沿った変化をしているのかもしれませんね。