私とリニア信仰

横軸に時間、縦軸に年をとって、年を取るごとにプロットしていくと、リニアなグラフができます。

スタートした瞬間に見えるゴールがあります。初期値と目標値がプロットされたグラフを想像するとき、きっと無意識に、直観でリニアに結ぶと思います。

我々のリニア信仰は深い。

このまえ、プランクが5分できました。これまで一か月ほど自重の筋力トレーニングと、1分のプランクをずっと続けていました。

しかしどうやら余裕ではないか、と身体の変化に気が付き始めて、詳しく調べてみたところ、3分できると自慢して良いレベルで、5分できるとプロ級だそうで。

しかしこれまで1分のプランクしかしてこず、いきなり3分や5分に挑戦しても達成できるのかどうか疑わしかったので、取りあえずその翌日は2分に挑戦してみました。

達成できたので、翌日は一気に5分に挑戦し、これも無事達成できました。

別にプランクを始めたときは5分を目指したわけではなくて、ただ筋力トレーニングの一環として始めただけでした。

しかしプランクの5分が達成できたときに思ったのは、もし5分を初めから目指していたら、ずっと続けられていたのだろうか、ということです。

勿論毎日継続していけば達成できるでしょうが、筋力の増加はリニアではないでしょう。

しかし、きっと1分から始めて、5分という目標値を結んだとき、リニアに結んでしまって、実測値とそのモデル値との乖離に、乖離分やる気が削がれていったと思います。

体重についても目標値までリニアに減少していくと思っている故に、体重の停滞がそのままダイエットの停滞につながるのでしょう。

スタートした瞬間に見えるゴールはあります。その瞬間は大切にすべきです。

しかしそれまでの道程はリニアではない。

道、というと、我々に「道」が想起させる像はアスファルトに固められた高速道路のようなリニアな道というよりも、でこぼこ、や険しい、などという困難さを伴う像であると思います。たぶん。

しかし、我々が意識するスタートからゴールまでのそれぞれのプロットはリニアなモデルに当てはまるプロットで、常に目標に対して正の相関があるモデルになってゆくのだと思いました。。

体重の改善のための減少モデルもそうですが、自分の意識や生活習慣に対しても同じことは言えるでしょう。

体重の減少モデルは、一次関数的に目標値まで到達すればいいのですが、

意識改善や生活習慣については目標値の付近をさまよい続ける、近似値を常に取り続ける、散布図的な図になるでしょうか。

一時期、行動時間を種類とそれに費やす時間に分節して、理想的なモデルを作りさえすれば、後はそれにのっとって行動すれば理想の生活が手に入る、とばかり思っていましたが、それはただ0か100かの完璧主義を助長させるだけで、却って駄目になりました。

モデルにおける意識という説明変数の取り扱いを誤っていました。

ゴールを設定した瞬間から意識はゴールにとって一番合理的な数値(行動)をたたき出すことは勿論なく、行動の効果も持続的に出るわけではありません。それならば三日坊主なんて言葉はなかったはずです。

学習も当初は初心者効果、初学者効果で効果が出ているように思うけれど、やがて停滞する。

しかしそれでも続けているとまた効果が出始める。

このことも古今東西言われ、実証されていますが、しかしその効果を出す前に「意識」についても同じことが言われなければなりません。

意識も効果が潜在している時にでも期待し続けるという態度を採用しなければなりません。

目標値までの自分の成長曲線の「微分」こそが、自分自身が意識している期待値の変化となるのでしょう。

リニア信仰は数値に現れる事象のみならず、意識の向上具合についても捨て去らなければなりません。

リニアには進まないけれど、目標値には近づくことができるじゃないかな、ぐらいの態度で毎日をつつましやかに送る方がゆとりが持てて丁度良いです。

いつの間にか、一分のプランクを続けていただけで5分できたみたいに、

いつの間にか何か変わっていることを感じられるかもしれませんね。

それならば、「また明日、」の響きに少しの期待を込められそうではないでしょうか。