私とあなた

近頃、友人とご飯を食べました。

ぶらぶら日和だったので、近所をしばらくぶらぶらして、予約の時間になったらお店に向かいました。

数か月ぶりに会う友人は、輪郭がかなりシャープになっていて、病的なやせ型、という訳ではなかったのですが、少し驚かされました。

友人も私に「やせたね」と声をかけてくれたので、笑顔トレーニングの効果だな、と返しました。

最近友人の身の上について、大変そうだったのと、私自身も人と会って話して状況を整理しないとなーと思っていたので今回の食事を計画しました。

 

友人の話を色々と聞きました。大変なことも沢山聞きましたが、楽しいこと、やりがいや面白いことも聞きました。そして何より、食事の時間、全体的に友人が楽しそうに見えたのが一番うれしかったです。

 

ふと、その時に「この人はどんな○○(←職業です)になるんだろうな、楽しみだな」と思いました。

大変な事、理不尽なことも聞きました。そんなに苦労するあなたを見たくないなあと思いました。

一方で、職場での楽しいことや、自分の仕事に対する理念などを聴くうちに、その仕事とともに今後も生きているあなたがとても楽しみになりました。

 

「これから楽しみだね」という発言やそれに似たことは良く言われました。そのたびに私は心中反発を繰り返していました。「もてそうだね」と同じくらいの重みしかないと思っていましたから。

しかし、自然とその思いが生じたことで、きっと「これから楽しみだね」は真実の場合もあるのだ、と思うことができました。

「これから楽しみだね」の「これから」について、よく「若い」の意味が含まれている場合があります。

若いとは、まだ未経験の世界が多く、それゆえに「未熟」なのか「学び(成長)の愉しみがある」なのか、意識して使い分けることは殆どなされてません。

しかし、今回の場合は、「これからの学び(成長)の愉しみ」の意味だと思います。

「まだ若い」とは、「これから学び、成長できる余白が十分にある」という事にしたい。

友人の若さは水水しく、今の季節にぴったりでした。

 

最近は版を切ったような生活で、徐々になれつつあります。Xデーが近づいてはいますが、特に不安が募ることはなく、程よい単調です。例えるなら心地よいリズムが刻まれている感覚です。

まだ、無菌室培養な感覚があり、自分が実はストレスに対して非常に弱くなっているのではないか、という不安はありますが、それは今どうしようもないので取りあえずそうであっても成長は続けられるのでとらわれずに日々を送っています。

 

友人を見送った後、自分の話を殆どしなかったことに気が付きました。持ってきた傘を店に置いてきたような、そんな感じでした。

でも、楽しそうだったので良しとします。