私と沈潜

月に一度かそれくらいの間隔で、非常に落ち込むときがあります。

大抵日々のローテーションもままならないくらいに落ち込みます。

お風呂も入りたくないし、起き上がりたくもない。ただ眠っていたい。けれどそんな時は日中寝ているわけですから、夜に起きてしまい生産性のない日中を恨めしく思い起きているわけですが、結局何もしたくない思いは生産性のない日中を思い返し、自己嫌悪で一杯になって、また明け方に眠り、日中はだるい、という循環が発生します。

書き連ねていくだけでも、ひやっとします。ずっと続いていた時期がありましたから。

 

数日前も、同じことが起きました。割と調子よく日々を過ごせていたのですが、ある日に夕食後、非常に疲れてしまいそのままベッドで眠ってしまいました。

中途半端に眠ってしまったので、起きても怠いし、何もする気になれない。夜気を取り直して寝ようとしても寝付けない。

何もしたくない。それでもいつもの時間に起きて仕事にはいく。

その日の午後はいつも通りやりましたが、また夜、同じことを繰り返してしまいました。

その日の夜は辛うじて、散歩に行き、シャワーを浴びて少々学習したのですが、結局眠るのは遅くなってしまい、翌日は非常に疲れた状態でした。

その日も仕事で、その午後はてんで働かず、昼寝もそのまま起きられずに眠ってしまいました。

夕飯を食べたものの、そのまま何もせずに過ごし、早めに眠りました。

次の日はお休みでしたが、定時に起き、朝ごはんを食べたところで、また眠りました。

今回は2日で済みました。耐えられず、10時くらいに起きて、頭痛がするくらい眠ったのですが、シャワーを浴び、買ってきてあったから揚げをもりもり食べて、外にでました。

そのまま半日読書と学習に費やしてまた戻ったようです。

それは仕方のないことで、自分を責めることが一番やってはいけない、生産性のないことだと言い聞かせます。

私は、もし落ち込んで落ち込んで落ち込むことで地面に、例えば5センチくらいめり込んでしまうなら落ち込む意味も多少はあるのかもしれませんが、

落ち込んで落ち込んでもめり込む前に心がノックアウトされてしまいます。

そんなことを思っていても、過去がフラッシュバックしてくることもままです。

ですが、それをして1秒くらい過去にタイムスリップできるなら100万回くらいくよくよするかもしれませんが、その前に今に置いてけぼりにされてしまうでしょうね。

正直なところ、まだ過去を考える自分が、悔しいです。

でもそれでもその時間が、純然たる今を意識することで置き換わっていることを、目の前の変化を感じ取る努力で置き換わっていることを信じます。

まるっと全部忘れていいことばかりでもありません。それは断っておきます。

 

畢竟、自分の予期せぬところでこういう事が起きます。それは自分ではどうしようもないことですし、それから救いあげるのは、過去何度もそこから立ち上がってきた自分自身のみですから、自分を頼みにするしかないです。

勿論そういう前触れ、例えば休みが取れていない、刺激がなく、惰性な行動になっている、など細やかな部分はあるでしょう。

しかし、その日を恐れて生活するつもりはありませんし、その日は来てしまうものですから、しょうがないです。

しかし来るたびにその日に対する抵抗力は高まっていますし、その度に回復する自分はえらいと思っています。誰も褒めてくれませんし、別にいいです。

そのおかげで今のことをもっと見聞きしておこうと、せめて変化を嗅ぎ取る皮膚感覚を研ぎ澄まそうと努力しています。

日々戦いとはこういうことも含んでいます。

 

沈潜(こう呼びましょう)の時に頭脳を使わないのでとにかくインプットを欲し、そして文章にしたくなります。

それがいわば復活ののろし、ということでもありますね。

具体的な(社会的な)動きに乏しく、未だ精神的な部分の構築に精を出し、無論それは実践を伴いはしますが、ある程度社会に対して試されて、耐えなければならないと思っています。

 

現在は、筋トレも、ご飯も、睡眠も、運動も、インプットもできているので「元気」の基準はクリアしています。たまに元気な若者を見ると「私の若さは何処へ~」と奥歯を噛みしめていますが、まあきっと上記のことのためにせっせと使われています。

「若いから無理できる」の意味が分かってきました。今のうちに頭に入れて、習得しておかなければならないあれやこれやも分かってきました。

それは自分の中でえらいことだと思っています。