私と暮らし

暮らしに欲しいものは、

お酒よりお酒を一緒に飲める友人とその時間だし、

ブランド品より、ブランド品の良さを見分ける目や感受性だし。

結局物質的なものにちゃんと評価して、自分なりの価値をもつことだと。

間違っていた。そう思う。それは未だ分かったり分からなかったりする。

辛いことでもある。なぜか。そして常にその間違いを確認する。思い出す。

何かここ半年の時間を通して、要らなかったものと要るものは見つけられた。

でもそれをきちんと忘れずにおけるだろうか。

そんな杞憂を、旅立つ前に考えている。

モノを持つにはあまりに自分の部屋と自分のスーツケースは小さくて、自分も力がない。

感慨にうまく浸れない。きっと浸る必要はないのだろう。

反動めいたものかもしれないが、揺蕩い、が続く。

数年後、また考え直してみたいのだが、今の私は留まることを考えない。

人間の絆、それは感じるし、その助けがないと、ふわりと糸の切れた風船のように、

太陽に挑戦していただろう。

しかし、まだ足りない、と何かが囁く。そして私も足りないと自覚している。

少し前までは、終わりがあることに恐怖し、今は終わりがあることに安堵している。

すべてを知ることが不可能だからこそ、選ぶ必要があり選ぶことが赦されるから。

無限を手に入れたくなるあの時期と衝動というのは何だろう。そして万能感を求める若さ。

世界の果てが流れる滝ではなく、実は私の後ろ姿を常に監視できる形状だったと分かったときからそういう青年期は終わった。

永遠に前進できるその形状のなかで、きっと私も何かを感じて、見てしまったのだと思う。

私に備わってしまったsense of wonder、私も第七官界を彷徨っている。